早園 真己さん
<プロフィール>
1972年横浜生まれ。
日本ファッション学院スタイリスト科卒業後、東京モデル学院で学ぶ。95年にパリコレに出演するなど活躍。00年に夫・石河陽一郎さんと『ROUROU』をオープン。05年にはサブブランド『Lotus
Room』をオープンし、活躍の場を広げている。
http://www.rourou.com/
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| 早園真己さん interview |
「女の子がハッピーになれる服を」
横浜生まれの元パリコレモデル、また現在はネオアジア≠テーマにしたショップ『ROUROU』のデザイナーとしても活躍している早園真己さんにインタビューしました。
★幼少時代
横浜市南区で生まれました。私は、小学校の頃は内弁慶で、あまり目立たないタイプでした。でも当時は、学校を休んでもバレエには行くというくらい、習っていたモダンバレエが大好き。年に1回ある発表会で、きれいな服を着て踊れるというのが嬉しかったですね。 両親は、地場産業である横浜スカーフの大手製版会社を営んでいました。小さい頃からスカーフやネクタイの柄を見て育ったので、小さい頃からファッションに興味を持っていたのかもしれませんね。
★学生時代
私が小学4年生のときに、不況のため父の会社が倒産。それから茅ヶ崎へ引っ越しました。その後、両親は違う仕事をしていたのですが、私が中学の時に父が病気になったこともあり、せっかく手に職があるのだからと、シルクスクリーンの仕事を再開させました。 作業は、家族みんなでやっていきましたが、ちょうど軌道に乗り始めた頃、父は亡くなりました。『意志あるところに必ず道は開ける』と常に前向きな父でしたので、今の私の原点はここにあるのだと思います。
★モデル時代
高校卒業後、スタイリストの勉強をするために服飾の学校に通いました。学校内のファッションショーでモデルをやる機会も多く、そこでモデルに興味を持ち、服飾の学校を卒業後、母の会社で技術を学びながら、モデルの学校に行きました。初めて出演したショーを見ていた山本耀司さんにスカウトされ「パリコレ東京コレクション」にも出演。 その後CMや雑誌モデルとして活動してきました。
★結婚&店
小・中・高校と一緒の幼馴染みの主人とは、モデルを始めた頃から付き合いはじめました。もともと私は、小さいころからお店をやってみたいという願望があったのですが、山本さんのパリコレに出演した時のテーマが「ジャポニズム」で、そのときに着物の絞りの素材の服≠ネど和をイメージした服を着させて頂いて「和ってすごくかっこいいな」と思い、今後何かをやるなら和やアジアを表現したいと思いました。 主人も、日本人とかアジア人であるということにアイデンティティーを感じでいたので、やるならやっぱりそう言う物を表現しようという話になって。結婚してからも、その夢に向かって進んで、食費を削ってお金をためて。デザインは私が担当して、経営については彼が色々な会社で修行して学んで、互いに足りない所を補って、オープンに至りました。
★これから
やはりファッションの中心地フランス・パリでは『ROUROU』というブランドがどの様な評価を受けるのかという部分に興味があるので、パリにお店を出したいです。
それと、アジア人によるアジア人のための服なんですが、ミャンマーやタイ、ベトナムなど様々なアジアのエッセンスが入っているので、日本人だけではなくアジア人の目にはどう映るのか興味があります。香港や上海でも、ファッションショーをしてみたいですね。アジアのエッセンスを取り入れた物を、横浜育ちの私が表現したらどうなるんだろうという思いがあります。 そういった意味でも、私はプリント屋の娘に生まれたので、女の子がハッピーになれる服をプリントを使って表現できたら良いな。
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